江戸東京の「美・技・味」探訪① 江戸押絵羽子板

むさしや豊山
野口豊生さん

艶やかな舞踏のポーズ、見えを切る役者の迫力ある表情。
東京の伝統工芸は江戸時代の職人技にそのルーツを持つものが多いが、
「江戸押絵羽子板」は女子の遊び道具であった羽子板を装飾品の域にまで高めた職人の創造性と技術を伝えている。

いくつもの部分に分けてつくられた押絵を、糊とコテと手の感触だけで組上げる。背後に見えているのは生地棚。

創業明治元年。東京都墨田区の工房「むさしや豊山」で静かに筆を走らせ美しい顔(面相)を浮かび上がらせる当主・野口豊生さんは五代目。羽子板の印象を左右する面相師の仕事だけは、まだ誰にも譲れない。江戸押絵羽子板は、末広がりにカットされた桐の板の上に、綿を布でくるんだ立体的なパーツをくみ上げてレリーフ状に絵柄を浮かび上がらせた工芸品である。なによりのこだわりは、正面から見て羽子板の形状がはっきりとわかるように、板から外へはほとんどはみ出さないように構図をつくること。この制約のもとに、数々の伝統的な絵柄が伝えられ、また今も新しいチャレンジが続けられている。

歌舞伎や舞踊を題材にした絵柄が人気。中でも藤娘(写真上)や八重垣姫といった赤い着物が好まれる。江戸時代にはアイドルのブロマイドのようなものだった。

毛先数本ほどの極細筆で描き出される面相。着物の細かな柄も面相師の筆先から生まれる。

浮世絵版画がそうであるように、押絵羽子板も江戸時代に分業制で発達をとげた。全体の構想を決める「下絵」、各パーツの型をとって布を裁断し綿を詰める「押絵」、面相や着物の柄を彩色する「面相描き」、押絵をアッセンブルする「組上げ」、そして「板づくり」と「取り付け」までいくつもの工程を経て完成するのだが、昭和の初め頃までは台東区と墨田区には大勢の職人がいて分業を支えていたという。

むさしや豊山の押絵羽子板の特長は、指先まで手書きで表現された女性の優しさやしなやかさ、独自の色で染めさせるオリジナル絹の色彩感覚にある。さらに、華美を排して末広がりの形状の中で表現する伝統へのこだわりも失わない。

羽子板は7世紀頃から宮中で行われていた毬杖(ぎっちょう)遊びがルーツとされ、鎌倉時代にはいまのような羽根つき遊びとして完成する。室町時代になって、女の子の誕生祝に贈る縁起物として装飾品となり、江戸は文化・文政時代(1804-1830)に歌舞伎を題材にした絵柄が発明されたことで大流行する。浅草寺では毎年12月17日~19日の3日間、羽子板市が行われるが、江戸時代には町のあちこちで市が立ったという。江戸の庶民文化を今に伝える優れた伝統工芸品である。

江戸押絵羽子板 むさしや豊山

東京都墨田区石原1-28-3
TEL.03-3622-7865

毎年12月17日~19日の3日間、浅草・浅草寺で羽子板市が立ち、縁起物を求めて多くのファンが訪れる。